プロフィール

 

簡単な代表のプロフィール(自己紹介)は以下です。

 

ダイジェストでまとめると以下です。

 

 

2001年慶應大学(経済学部)卒業後、野村證券に17年営業として勤務。

2017年野村證券退社後、同時にインターネット物販の1人法人を設立し、現在8期目です。

加えて、2023年よりかわしま行政書士事務を開業して現在にいたります。

 

以下、詳細の自己紹介です。

 

略歴

 

2025年1月時点で47歳です。

 

 

1993年~1997年:太田高校(一浪)

高校は群馬県立の太田高校にいきました。

県内で有数の進学校で授業の進むペースが早すぎて一瞬で落ちこぼれになりました。

 

1週間で高校1年生の数学の教科書が終わったことに衝撃を受けました。

始めて受けた数学のテストは「5点」でした。100点満点のテストです。

 

そんな状態でコテンパンに数学ができなかったので、大学の進学に向けては文系を選択しました。

が、高校3年になってから、数学ができないと負け犬みたいで嫌だなと思うようになり、数学で受験する文系という戦い方に変えました。

 

結果は、普通に考えると容易に想像できますが、学力が中途半端になりました。

当時の偏差値で60~65くらいだったと思えます。

 

かつ過去問など一切せずに、テキトウに大学の偏差値で受験大学を決めたために現役時は受験した大学がすべて不合格になりました。

 

A判定だった大学も不合格になりました。

ここで、なんでA判定なのに不合格になるのか?にひどくビックリし、浪人時にその分析に3か月かけました。

 

その結果、合格するためには、大学は偏差値で選ぶべきではなく、自分の得意科目の配点が高く、しかも自分の得意なジャンルが多く出題される大学を選ぶべきと理解しました。

 

そこで、偏差値の高く、有名な大学を上から順番に過去問をチェックし、自分との相性を確認しました。

 

そこで見つけたのが慶應大学でした。

しかも当時の慶應の経済を数学で受験すると倍率が2.5倍くらいでビックリするくらい倍率が低かったです。たしか数学なしで受験すると4~5倍だったと思います。(うる覚え)

 

結果、一浪したものの、慶應大学経済学部に入学できました。

この経験は今現在でも生きており、とても貴重な経験ができました。

 

また先日、2024.6に18年ぶりに太田高校の文化祭にいきました。

タオルとうちわを買いました。

 

私が47歳(2025.1現在)という年齢になっても資格取得などの勉強しているのは、この太田高校で勉強する習慣を身に着けたことが大きいです。

 

在学中は地獄としか思っていませんでしたが、今となってはとても感謝しています。

私の生きる上での基礎というか基本がこの太田高校で培われたと思っています。

 

1997年~2001年:慶應大学(経済学部)

大学時代はほぼバイト(居酒屋)をしていました。

それでも一応、普通の大学生っぽく相応には充実していた日々を送っていたと思えなくもないですが、今思うと、少し後悔する時期です。

 

世の中で名を上げる人は、この時期にビジネスの立ち上げるキッカケをつかみ起業に向かうケースが多い傾向ですが、私はただバイトしていただけでした。

 

これが居酒屋ではなく、WEB関係みたいなこれからの会社だったら・・きっと違う人生だっただろうと、少し前まではマレに思い出すと後悔するときがありました。

 

ただそのバイト先の居酒屋も個人経営で、少人数で大量に来る慶應生をさばく必要があり、超高速で顧客をさばくことを覚えました。

 

来店客数を予想し、そこからおきるであろう仕事を想像して、前倒して処理して、高速でさばくというのが、ゲームみたいでとても面白いと感じ、かなり熱中してやっていました。

 

私がバイトに入ると「仕事が楽」とよく一緒に入るバイトの人に言われていました。

ある意味で経営者っぽい視点でお店を回していたと思います。

 

外食するときは、昼などで多少来店客が多いくらいでヒーヒー行って店舗を回せていない飲食店をみると「私なら余裕で回せるけどね~」とか思ったりしています。

 

そのくらいの熱量でやっていたので、おそらくWEB系だったら、その時点で起業して別の世界があったかも・・と5年くらい前までは、良く思っていました。

 

ただ2025年にもなると、現状にもそれなりに満足しているので、もうそのように思うことはなくなりました。

 

下記が慶應の卒業アルバムです。

 

 

2001年~2017年:野村證券で営業職

2001年~2017年の野村證券時代は全期間、個人富裕者層に対する資産管理の営業職でした。トータルで数千名のお客様対応を行いました。

 

押し売りしない、話をよく聞く、運用実績を上げることを信念にやっていました。

入社したときの自己宣言書も残っています。

 

 

売買手数料を重視する評価体系の野村證券では、私はかなり独自の立ち位置で働いていました。

手数料稼ぎをしないために、会社ではほとんど評価されていませんでした。

 

当時の上司に「おまえは昇格する気があるの?」と何回も言われていました。

本音としても昇格するは全くありませんでした。

 

その分、自分のやりたいことを追求して実行していました。

特に、お客様の意向を深くくみ取っていたために、資産家・富裕層の開拓し、入金していただくことが一定のレベルでできたよう思えます。

 

入金ランキングでは数回表彰され、後のその支店の中で大手顧客を言われるお客様を相当数作ることにも成功しています。

 

が、正直、社会人としては不適だったと思います。

サラリーマンであるのに、会社の言うことを聴かずに、自分のやりたいことをやっていたからです。

 

自分が起業して、経営者になると、野村證券にいたときの私みたいな人は、仮に能力があっても雇いたくない社員の典型に思います。

 

ということもあり、ボチボチで野村證券にいても窓際族に追いやられる未来が見え隠れするようになりました。

 

ゆえに、晩年は平行して、ビジネスの立ち上げを考え始めました。

 

会社にばれないように、いくつかビジネスを試してみて、多少上手くいったのが次にあげるアマゾンを使ったネット物販でした。

 

2017年~:アマゾン物販で起業(法人設立)

 

野村証券の晩年、試行錯誤しながら自分でビジネスを作ることをしていました。

 

最初は申告不要の年間20万の利益ちょい前で一旦辞めようと思っていましたが、売れる嬉しさから余裕で20万を超える利益を出してしまっていました。

 

アマゾンのすごいところは、まとめて納品さえしてしまえば、あとは自動でガツガツ売れることです。

 

ゆえに、売れる商品であると、自分は何もしなくても利益がでます。

休みの日にゴルフをしている間でも利益で3万くらいがでることもありました。

 

そんなこんなで気が付くと、野村證券の月収に近いところまで、稼げるようになっていました。

 

が、冷静に考えると住民税で副業がバレることになる事実に気が付き、急いで会社を辞めることにしました。

 

会社を辞める決断はスゴイ早かったです。そう思った翌日には会社辞めますと当時の支店長に伝えました。

 

会社の言うことをきかない窓際族の予備軍なので、余裕で退職できるだろうと思っていましたが、予想外にひきとめ工作にあい、退社するのに、まあまあ苦労しました。

 

というわけで、私の場合は、会社を辞めて、個人事業としてではなく、法人を設立して即、起業しました。会社をやめて5日後には会社登記をしました。

 

この法人は、現在進行形で経営しています。(8期目)

 

2017年~に始めたアマゾン物販は比較順調でしたが、アカウント停止リスクがあり、2021年に撤退しました。

 

今のアマゾンECをみてもわかると思いますが、某国からの偽装品がものすごく多いです。

 

そのため、アマゾンでは定期的に真贋調査ということがされていました。

ようは出品している商品が正規品であることを証明せよという調査です。

 

アマゾンは、突発的に前触れなしに真贋調査が行われ、対応を間違うと売上全没収かつ販売停止になるという恐ろしい運営が当時されていました。(たぶん今も)

 

恐ろしいのが、正規品を扱っていても、問答無用でアカウントが停止されることです。

よく目にしたのが、正規品の店舗が締め出されて、偽造品を扱うところがアマゾンに残るパターンでした。

 

そのようなアマゾンの実態を踏まえ、常にまとまった金額の在庫を保有する在庫商売ではリスクが高いと判断しました。

 

メルカリやヤフオクなどの他のサイトもありますが、自動で売れるのはアマゾンだけで、他にかわりはありません。

 

ゆえに、アマゾンが止まると数千個近くある商品を売って現金化するのが困難になりえます。

 

そんな状態でアマゾンを継続するのは、リスクが高いと判断し、行政書士に転身しようと思うこともあり、撤退しました。

 

私は、実際にアマゾンでは真贋調査を無事クリアした経験、およびアカウント停止を解除させた経験があります。

 

2021年までの経験ですが、そのあたりも一定のアドバイスはできると思っています。

また、経営する1人法人で古物商許可も取得しています。

 

2024.9現在は、アマゾン物販を撤退後は、ほぼ遊びというか趣味の延長でメルカリ・ヤフオク等でホソボソを販売しています。

 

その経験を活かし、古物営業許可申請の業務をやらせていただいています。

古物営業許可申請に関する業務内容はこちら

 

そんな状況で、現状の法人の実態は資産管理会社っぽくなっています。

 

2023.3月~行政書士事務所を開業

 

アマゾン物販を撤退後に、在庫のいらない知識商売として、2023.3月より行政書士事務所、かわしま行政書士事務所を開業しました。

試験の点数は198点でした。

 

試験に合格しても1年は情報収集や資格取得のため、様子をみてから開業しました。

 

登録番号:第23140344号

群馬県館林支部:第3424号

 

行政書士開業前後で感じるのが、圧倒的な実務経験のなさです。

そのために、まずは実務経験の獲得のために、アルバイトなどをすることにしました。

 

行政書士は、とにかくわからなくても受注して、そっから必死で勉強すべしという開業後の営業が一部で薦められています。

 

が、私はその考えには全く同意できませんでした。

実務経験を積み、一定の自信が持てるもののみをお客様に提供しようというのが私の考えです。

 

その考えに則って、下記のようなバイトをしました。

 

実務経験①:監理団体兼登録支援機関

 

本来なら行政書士事務所にバイトにいきたいところですが、そもそもの求人がないのが行政書士です。

 

かつ、開業する前提の行政書士をアルバイトに雇ってくる行政書士事務所もほとんどありません。

 

そのため、代替で関連しそうな業務をやっている会社でアルバイトで探しました。

 

そのうちの一つがとある監理団体兼登録支援で業務を学ばせていただく機会に恵まれました。

 

行政書士の花形業務たる入管業務に関連する技能実習生や特定技能生の在留許可申請に携わることができます。

 

主に私はそこで以下の業務を経験させてもらえました。

→技能実習生・特定技能姓の新規、更新申請

→監理団体登録申請・登録支援機関申請・更新申請

 

とてもありがたかったです。

 

その経験を活かし、在留許可申請の業務を含めた入管系の業務をやらせていただいています。

在留許可申請等にに関する業務内容はこちら

 

私は、不明点があれば、労力を惜しまず入管まで行って疑問点解消するというスタンスで業務をしています。

 

実際に以下のように入管にいっています。

 

 

そこで一定期間の実務を学んだあと、次は司法書士事務所でバイトをする機会に恵まれました。

 

実務経験②:司法書士事務所

 

とある司法書士事務所でも実務を学ぶ機会をいただけました。

主に以下の業務をやりました。

 

→遺産分割協議書作成

→相関図、法定相続情報作成

→戸籍・住民票の請求

→未登記家屋の名義変更

→不動産の評価証明の取得

 

その経験を活かし、相続系の業務もやらせていただいています。

相続関連に関する業務内容はこちら

 

実務経験③:税理士事務所

 

とある税理士事務所でも実務を学ぶ機会をいただけました。

主に以下の業務をやりました。

・仕訳記帳

・法人税内訳書等の決算書類作成

 

一方で私自身は税理士なしで自分の法人税申告を6度やっています。

 

建設業経理士2級も資格も取得しています。

建設業キャリアアップシステムの登録行政書士にもなっています。

 

 

この経験は建設業許可申請をする際にお役に立てると思っています。

建設業許可申請に関する業務内容はこちら

 

 

保有資格

※2024.9月現在です。

資格以外では法人税の申告は6年間、税理士なしで自分でやっています。

※税務申告のお手伝いは行政書士は法律でできませんのでご理解お願いします。

 

 

宅建と賃貸不動産経営管理士は合格しただけではなく、登録しています。

 

 

宅建士証、賃貸不動産経営管理士証もあります。

 

 

宅建業免許の申請業務もやっています。

宅建業免許申請に関する業務内容はこちら